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6月29日は私の64回目の誕生日だった。 毎年、年を重ねることが当たり前のように思っているが 今年は、特別の感慨があった。 友人の仏人パートナーで私と同じ年だった彼が この日、帰らぬ人となってしまったから。 彼が肺癌の宣告を受けたのは、まだ春遠い2月のことだった。 転移があるので、手術はできず抗がん剤治療を夏まで受ける予定だと 彼女から聞き、最大の効果を願った。 つらい副作用を耐え、2クールが終わった時点で検査をすると 縮小するどころか、拡大していたと話す彼女の声に力はなく 返事に窮した。 そうこうしているうちに肺に水が溜まりはじめ、昼夜を問わずせき込み 食事もとれず、みるみる体力が奪われていく日々。 呼吸困難を起こしては、救急搬送を繰り返し、1か月ほど前に入院。 抜いても、抜いても溜まる胸水。 転移した骨の痛み。 治療が追い付かない病魔の進行の速さ。 肉体的、精神的に追い詰められているであろう二人の苦境を 淡々と綴る彼女のメールを見るだけの無力な私。 「彼に会っといてくれる?最後になると思うので…」と彼女から電話をもらったのは 私がパリに戻った直後。 正直言って、変わり果てた彼の姿を見るのは怖かった。 覚悟を決めて、病室で彼と対面した時の驚き。 20㌔以上も体重が落ちたと聞いてはいたが… 190㌢近い、偉丈夫だった彼の面影はどこにもなく 胸が詰まった。 酸素吸入器を鼻に入れ、モルヒネで痛みをコントロールするだけの 緩和治療の彼の表情は穏やかで、時折意識が混濁するものの 話しぶりは以前と変わらず、冗談まで言ったりして、、、 その後、何度かお見舞いに行ったのだが 顔の色艶もよく、その日はまだ先だと思っていた。 いや、そう思いたかったのかもしれない。 残される彼女の為に、書類はすべて整理し、葬儀の指示もし 旅立つ心の準備はできていると言う彼の顔は神々しくさえ見えた。 私の最後もかくありたい! 私の誕生日の前日もお別れのビズをしながら 日本語が堪能だった彼の別れの決め台詞 「達者でな!」と笑って互いに言ったのが、最後になるとは。 くしくも、私の誕生日と彼の命日が一緒になった。 来年も、達者でな!と言えるように1年を過ごそうと思う 誕生日になった。
by tinyapun
| 2017-07-01 05:30
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